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Beyond Good and Evil: Prelude to a Philosophy of the Future(善悪の彼岸:未来の哲学への序曲) cover

哲学

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Beyond Good and Evil: Prelude to a Philosophy of the Future(善悪の彼岸:未来の哲学への序曲)

Friedrich Nietzsche; edited by Rolf-Peter Horstmann and Judith Norman; translated by Judith Norman

英語原題: Beyond Good and Evil: Prelude to a Philosophy of the Future

ケンブリッジ哲学史テクスト叢書に収められたジュディス・ノーマン訳によるニーチェ後期の著作で、ロルフ=ペーター・ホルストマンの序論が本書を歴史的・哲学的文脈に位置づけます。年譜、読書案内、注を備え、同叢書の他の巻と並べて授業で使うことを想定した版です。

前提知識: 哲学の予備知識があると役立ち、ニーチェの短い入門書を先に読んでおくとよいでしょう。

難易度レベル
中級
学術レベル
学部
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01 / 読書ガイド

読書ガイド

引用

Nietzsche, F. (2001). Beyond Good and Evil: Prelude to a Philosophy of the Future (R.-P. Horstmann, Ed.; J. Norman, Ed. & Trans.). Cambridge University Press. (Original work published 1886.) ヘレン・ツィマーン訳の無料のパブリックドメイン版:https://www.gutenberg.org/ebooks/4363

章の要約

背景と議論

本書は、序文、九つの部にまたがる296の番号付きの節(一行のものから数ページに及ぶものまである)、そして最後の詩からなる。パブリックドメイン版の序文には「シルス・マリア、1885年6月」の日付がある。序文は、独断的な哲学を、プラトンの「純粋精神と善そのもの」を最悪の誤りとして、ヨーロッパがいま克服しつつあるものとして扱い、「良きヨーロッパ人」と「自由精神」に呼びかけている。全体として、哲学者たちの偏見、真理の価値、キリスト教とプラトン主義から受け継がれた道徳を問い直し、未来の哲学者たちの姿を描き出す。ケンブリッジ版は、ロルフ=ペーター・ホルストマン(Rolf-Peter Horstmann)による序論(約20ページ)、年表、参考文献案内、本文についての覚え書き、人名解説を加えている。以下の部の題はケンブリッジ版の目次に従っており、ツィマーン訳では幾つかが別の言い方になっている。

第1部:哲学者たちの偏見について(第1〜23節)

第1節は、真理への意志とは何か、その価値はどれほどか、「なぜむしろ非真理ではないのか」と問う。ニーチェはさらに、形而上学者たちが対立する価値の存在を信じていること、哲学とは「その創始者の告白」であること(第6節)、「われ思う」や「われ欲す」という哲学的な自己確信(第16〜19節)が一束の前提を隠していることを論じる。カントの「ア・プリオリな総合判断」は第11節で嘲笑され、この部は、力への意志の形態学・発展論としての心理学という構想で終わる。

第2部:自由精神(第24〜44節)

この部は、人間の認識は単純化と偽造の上に成り立つという主張で始まる。続いて、民主的な「水平化論者」から区別される「自由精神」(第44節)、真理が有害でありうるという考え(第39節)、仮面の必要(第40節)が論じられる。第42節は未来の哲学者たちを「誘惑者」として登場させ、第32節は人間の価値評価の歴史を、前道徳的、道徳的、「超道徳的」な時期として素描する。

第3部:宗教的性格(第45〜62節)

宗教は心理学の対象として扱われる。初期キリスト教とパスカルの信仰、孤独と断食という養生法を伴う「宗教的神経症」、無神論が広まった理由、「宗教的残酷さの梯子」(第55節)、そしてニーチェが道徳の彼岸へ連れ出そうとするショーペンハウアーとブッダの悲観主義(第56節)が論じられる。哲学者が宗教を規律の道具としてどう用いうるか、宗教が支配的になるときに何を犠牲にするかで終わる(第61〜62節)。

第4部:箴言と間奏(第63〜185節)

愛、虚栄、認識、友情、性格、男女、道徳についての、短い言葉と小さな観察が長く続く。たとえば「道徳的現象というものはなく、現象の道徳的解釈があるだけである」(第108節)、怪物と戦う者は自らも怪物にならぬよう気をつけよという警告(第146節)がある。

第5部:道徳の自然史について(第186〜203節)

ここでニーチェは諸道徳の比較研究を提案し、道徳的主張がそれを述べる者について何を明かすかを問い(定言命法、第187節)、道徳を長い強制として提示する(第188節)。この部はまた、道徳における「奴隷一揆」(第195節)、「畜群」本能と現代ヨーロッパの道徳観(第199〜202節)を取り上げ、新しい哲学者たちを呼びかける(第203節)。

第6部:われら学者(第204〜213節)

学者と哲学者が区別される。ニーチェは「客観的」な科学者に批判的で、懐疑主義と、批判者・実験者としての未来の哲学者(第208〜210節)を論じ、哲学的労働者と価値を創造する哲学者とを区別する(第211〜213節)。

第7部:われらの徳(第214〜239節)

誠実さが、「自由精神」たちが捨て去れない徳として主張され(第227節)、歴史的感覚が検討され(第224節)、快と苦によって価値を測る快楽主義と功利主義が退けられる(第225節)。最後の節(第231〜239節)には女性についてのニーチェの発言があり、多くの読者が不快に感じるもので、批判的な注釈とともに読むのがよい。

第8部:諸民族と祖国(第240〜256節)

ヨーロッパの文化と国民性が扱われる。ワーグナーとドイツ音楽、ドイツ人、イギリス人、フランス人の「魂」、そして国民主義に対する「良きヨーロッパ人」である。第242節は民主主義の運動を、ヨーロッパ人の同化というより大きな過程の一部として読み、第256節は「ヨーロッパは一つになろうとしている」と論じる。

第9部:高貴とは何か(第257〜296節)

第257節は、人間という類型の向上はいつも貴族的な社会によってなされたと主張し、第260節は主人道徳と奴隷道徳の区別を述べる。後の節は高貴な魂、序列の感覚と「高貴さの徴」(第272節)、孤独、そして哲学者を描く。最後の番号付きの節は、真理になりはじめている自らの「書かれ、描かれた思想」への別れの言葉である。

高い山から

最後の詩は、ツィマーン訳では「高みから」と呼ばれる後歌で、「人生の真昼」と友を探す声で始まる。

主要概念

第1〜2部

  • 真理への意志:認識への衝動。ニーチェは、これを当然視せずにその価値を問うよう求める。
  • 遠近法(パースペクティブ):価値評価や現れを暫定的な視点とみなす考え方。序文は遠近法を生の根本的条件と呼ぶ。
  • 力への意志:生きものは何よりもまず自らの力を放出しようとし、自己保存はその結果にすぎないという提案。
  • 自由精神と未来の哲学者:新しい価値を試みる独立した思想家たち。

第3〜6部

  • 宗教の心理学:宗教的状態を、衝動と生活様式の表れとして分析すること。
  • 道徳の自然史:諸道徳とその背後にある感情を調査する企て。
  • 畜群の道徳:群居する多数者の道徳。ニーチェはこれをヨーロッパの支配的な類型とみなす。

第7〜9部

  • 主人道徳と奴隷道徳:第260節で区別される二つの基本的な道徳の型。
  • 距離のパトス:ニーチェが貴族的な社会と結びつける序列の感覚(第257節)。
  • 良きヨーロッパ人:国民主義的な忠誠を越えて考える人々。

批判的分析

長所

  • 箴言の形式のなかの議論。 冒頭の部には、短い言葉と並んで、「われ思う」の解剖や、意志を感覚、思考、命令の情動の複合体とする説明(第16〜19節)のような持続的な分析がある。読者は、より挑発的な主張に出会う前に、その方法が働くところを見ることができる。
  • 自らの主張への自覚。 ニーチェは自然法則についての自分の見方も「解釈」にすぎないと認め(第22節)、本書は自分の思想が退屈な真理になりつつあると述べて終わる(第296節)。
  • 範囲の広さ。 九つの部は、認識論、宗教の心理学、倫理学、学問、ヨーロッパの政治と文化に及ぶ。道徳のような一つの主題を複数の部にわたって追うことができる。
  • 版の付属資料。 ケンブリッジ版の目次には序論、年表、参考文献案内、本文についての覚え書き、人名解説が挙げられており、箴言に含まれる多くの引喩を考えると役に立つ。

短所

  • 引喩が多く圧縮されている。 本文は、1880年代の哲学者、作曲家、政治に説明なしにたびたび言及する(たとえば第12節のボスコヴィッチ、タルチュフやワーグナー)。人名解説や序論がなければ、多くの節は位置づけにくい。
  • 断定にとどまる箇所がある。 最も大胆な主張のいくつかはわずか数行で述べられる。たとえば、生とは力への意志であるという言明(第13節)である。持続的な擁護は他に求めなければならない。
  • 不快で異論のある箇所。 女性(第231〜239節)、諸民族と人種、奴隷制と貴族制(第257節)についての節には著者の偏見が反映されており、研究文献とともに批判的に読む必要がある。
  • 体系ではない。 本書は段階を追った理論を示さない。練り上げられた倫理学や形而上学を求める読者はここでは見つけられない。

コースにおける位置づけ

このコースで、本書は他の二つの一次文献と並ぶ一次テクストである。一つはスタンボー=シュミット訳のハイデガー『存在と時間』で、存在の問いについての体系的な論考、もう一つはピンカード訳のヘーゲル『精神現象学』である。ここでヘーゲルは付随的に触れられるにすぎない(たとえば第211節と第252節)。ニーチェはどちらよりもはるかに短く断片的なので、学生が最初に取り組む一次文献にできる。

デイヴィッド・ウェスト(David West)の Continental Philosophy: An Introduction はニーチェを第5章の一節で扱い、サイモン・クリッチリー(Simon Critchley)の Continental Philosophy: A Very Short Introduction はこの伝統をニヒリズムへの応答として提示する。ニヒリズムは本書の第10節に出てくる。どちらも最初に読むのによい。サラ・ベイクウェル(Sarah Bakewell)の At the Existentialist Café は現象学と実存主義という、この伝統の後の運動の物語的な歴史である。

本書の使い方

本書は、大陸哲学や19世紀哲学を学ぶ学部生と、ニーチェの道徳批判を知りたい倫理学の学生に向く。哲学の予備知識と、ニーチェについての短い入門(ウェストの第5章やクリッチリー)があると役に立つ。

実践的な進め方は次のとおり。

  • 中核: 序文と第1部を丁寧に読み、続いて第2部、第5部、第9部を読む。これらで、哲学への批判、自由精神、二つの道徳の型が示される。
  • 二度目の読書: 宗教の心理学として第3部、ニーチェの哲学者観として第6部。
  • 選択的に: 第4部は一度にではなく少しずつ。第8部はヨーロッパについての発言のために。第7部は、女性についての最後の節を批判的な注釈とともに読むこと。

一部ずつ読み、個々の節を孤立して扱うのではなく、繰り返し現れる主題を書き留めていく。編者の序論と人名解説を併用し、語句が問題になるときはケンブリッジ版の翻訳と無料のツィマーン訳を比較する。

版と出典

本導読は、ヘレン・ツィマーン訳『善悪の彼岸』の全文に基づく。これは『ニーチェ全集』(1909〜1913年)からの再録で、プロジェクト・グーテンベルクのeBook #4363として公開されており、パブリックドメインである。序文と第1部(第1〜23節)は全文を読み、さらに第2〜9部から約120の節と、第2〜9部の他の大半の節の冒頭の数行を読んだ。ツィマーン訳の章題と語句はジュディス・ノーマン(Judith Norman)訳とは異なるが、296節の番号付けは同じである。ケンブリッジ版の翻訳、序論、注は出版社の目次から記述したにすぎず、読んでいない。