01 / 読書ガイド
読書ガイド
引用
Illich, I. (1973). Deschooling Society. Penguin Education. (Original work published 1971 by Harper & Row, New York, and Calder & Boyars, London.)
章の要約
『Deschooling Society』は、ペンギン版、Harper & Row版、Marion Boyars版のいずれでも約116ページの短い論争の書である。出版社の紹介文は、これを義務的な大衆教育への批判として説明する。学校と大学は、進歩についての誤解を招く観念を支え、消費社会の人材の募集所として機能している、というのが論旨であり、本書は根本的な改革の提案で結ばれる。冒頭の章の題名は、Why We Must Disestablish School、Phenomenology of School、Ritualization of Progress、Institutional Spectrumである。
Context and Argument(背景と論旨)
イリイチはオーストリア生まれの司祭・学者で、ニューヨーク、プエルトリコ、クエルナバカで活動した。本書は1970年代の初めに書かれ、彼の近代的制度への無政府主義的な批判を広く知らしめた4冊(『Tools for Conviviality』『Energy and Equity』『Medical Nemesis』を含む)の一つである。Brian Hendleyが『McGill Journal of Education』(1972年)に寄せた書評は、本書を、操作的な制度としての学校への容赦ない攻撃と、行動、参加、自助を軸とした学びの新しい枠組みの提案をあわせ持つものとして要約している。イリイチが「学校」と呼ぶのは、年齢で区切られ、教師を伴い、義務的なカリキュラムへの終日の出席を求める過程である。書評はさらに、本書が学校教育を、教えられる必要を教え込み、学びと生活を切り離す一種の通過儀礼として扱っていると述べる。
Why We Must Disestablish School(なぜ学校を廃止しなければならないか)
冒頭の章は、社会における学校教育の確立した地位を取り除くべき理由を述べる。題名は本書の主張を縮めたものである。Hendleyの書評によれば、イリイチは学校を、各学習者の管理のもとで資源を自律的に組み立てる教育のネットワークで置き換えようとしている。
Phenomenology of School(学校の現象学);Ritualization of Progress(進歩の儀式化)
これらの章は、学校が制度として何をしているかを描く。書評はこの部分について25〜47ページを引いている。書評によれば、論旨は、各国の予算にかかわらずどこでも同じ「隠れたカリキュラム」、本当の価値は学校での段階的な消費を通じてのみ学べるという考え、そして、学びの大半は教師による操作ではなく、意味のある場への妨げられない参加から生じるという主張に及ぶ。続いて第4の章Institutional Spectrumが置かれる。
Later Chapters: Proposals for New Learning Networks(後半の章:新しい学習ネットワークの提案)
後半は、批判から代替案へと移る。Hendleyは、四種類の学習の交換を述べる。教育対象への参照サービス、技能の交換、仲間探し(ピア・マッチング)、そして教養ある年長者への参照である。本書はまた、公共の場でものや道具に触れられること、耐久財経済、各市民への「教育クレジット」を提案している。
主要概念
学校教育の批判
- 制度としての学校:年齢で区切られ、教師が導き、義務的なカリキュラムと結びついた終日の過程。
- 隠れたカリキュラム:学生に教えられる必要を教え込み、価値は教育の段階的な消費によって得られると教える構造。
- 制度的な廃止(ディスエスタブリッシュ):学校を改革するのではなく、その特権的な地位を取り除くというイリイチの主張。
代替案
- 教育のネットワークまたはウェブ:学習者が自らの管理のもとで組み立てる資源の仕組み。
- 学習の交換:もの、技能、仲間、教養ある年長者に触れるためのサービス。
- コンヴィヴィアルな経路:操作的でなく、自発的で、自己抑制的な学びの経路。
批判的分析
長所
- 明快で記憶に残る主張。 書評が示す論旨は一文に収まる(学校は廃止され、学習者が管理するネットワークに置き換えられるべきだ)。それが学校の定義、隠れたカリキュラムの説明、具体的な提案を通して展開される。
- 批判と提案を結びつけている。 Hendleyは、本書が学校への攻撃であるだけでなく、新しい制度的枠組みの提案でもあると指摘する。読者は反発するだけでなく、試す対象を得られる。
- 短い書物。 約116ページで、午後のうちに読み通せ、議論の口火に使える。
短所
- 具体的な細部が少ない。 Hendleyは、イリイチの提案の多くに具体的な細部が欠けていること、また社会の福祉に必要な学びの構成要素を本書が考慮していないことを指摘する。
- 異論の多い前提。 Hendleyの主な異議は、学びは他者による操作を最も必要としない人間の活動であるという前提に向けられる。彼は、自律に前提条件はないのか、能力や背景の違いが人々の選択を形づくらないのか、新しい学習ネットワークが単に新しい市場になるのではないかと問う。
- 改革ではなく廃止。 本書は学校を置き換えることを目指しており、Hendleyは、制度の本質的な目的を保つ改革を望む。学校内での教育の改善に関する指針を求める読者には、別の資料が必要である。
- 技術が古くなっている。 仲間探しにコンピュータを使う提案は1971年のものであり、歴史的な予見として読むべきである。
コースにおける位置づけ
教育の基礎に関する読書リストの中で、本書は急進的で短い論争の書である。Deweyの『Democracy and Education』は、教育を民主的な生活への積極的な参加の準備と結びつける対照的な説明を示し、有益な対比になる。Freireの『Pedagogy of the Oppressed』とhooksの『Teaching to Transgress』は、従来の学校教育へのほかの二つの批判で、どちらも自由の実践としての教育を論じ、イリイチの関心の一部を共有しながら、教室を変革の場として保っている。
全体を見渡すには、Thomasの『Education: A Very Short Introduction』が哲学的・歴史的な議論を学校教育をめぐる今日の論争に結びつけ、Noddingsの『Philosophy of Education』が古代の哲学者から現在の取り組みまで、この分野を概観する。イリイチは、これらのいずれかのあと、あるいはDeweyやFreireと並べて読むのがよい。
本書の使い方
本書は、学校教育の目的や制度批判に関心のある学部生と一般の読者に向く。前提条件はないが、学校がどう組織されているかについての知識があると論旨を追いやすい。
読み方の例:まず冒頭の章「Why We Must Disestablish School」で主張を読み、次に学校の現象学と進歩の儀式化の章で分析を読む。後半の学習ネットワークの章は思考実験として扱い、提案される各ネットワークについて、それがどんな問題を解決し、どんな新しい問題を生むかを、Hendleyが提起する問いを出発点にして考える。対比のためにDeweyやFreireと組み合わせ、イリイチのピア・マッチングの考えを現在の実践と比べたいなら、オンライン学習に関する最近の資料も併せて読むとよい。
